
はじめまして、このブログ「YŪNO」を運営しているYuheiといいます
「YŪNO」は
”健康法”と”ファッション”で「陰の真価」を発揮するをテーマに
自分のポテンシャルを最大限引き出して幸せになることを目指すブログ
です。
このページでは
- 発信ジャンルとそれを選んだ理由
- ブログの目的
- ブログをはじめた理由
について紹介しています。
”健康”と”ファッション”は魅力を引き出してくれる最強のツール
ブログテーマのとおり、このブログでは主に”健康”と”ファッション”について発信していく予定です。
ざっくりですがこんな感じで発信していこうと思ってます。
- Inner Beauty(内側から生まれる美しさ)
- 食事(食材、時間帯、食事方法)
- 睡眠(時間、時間帯、光と音)
- 運動(種類、時間帯、頻度)
- メンタル(ストレス対処、思考法)
- 自然(効果、頻度)
- Outer Beauty(外側から作っていく美しさ)
- ファッション(コーデ、ブランド、銘品、歴史)
- 美容(ヘアケア、スキンケア、香り)
”健康”と”ファッション”は「自分の魅力を引き出してくれる最強のツール」である。
そして(程度の差こそあれど)誰もが取り組むべきことである。
僕はそう思っています。その理由は3つあります。
①身体と心は唯一無二のものだから
自分の魅力は「自分がもっているもの・自分にしかないもの」から生まれると思っています。
そして誰もが持っているオンリーワンなもの、それは自分の「身体」と「心」だと僕は考えています。
人間の身体は基本的な構造はみんな同じです。でも、その一つひとつに着目すると全然違います。
- 骨格
- 筋肉量、速筋と遅筋の割合
- 内蔵の強さ
- 髪の質・色
- 目鼻の大きさ・形・位置
- 手足の長さ
すべて同じ人は1人としていませんよね。「他に同じものがない」ということは、それだけで武器になると思うんです。
たしかに、モデルみたいに「誰もが憧れるような身体」を持って生まれる人もいます。けれど、スポーツ選手でも俳優でも「一般的には不利とされる体格や特徴」を武器にしてる人もいますよね。
つまり、自分の「身体」は「替えの効かない唯一のもの」であり、活かし方次第で可能性を引き出せるのではないか。そう思っています。
また「本を読んだり映画を観たときの感じ方・考え方」も「自分にしかないもの」じゃないでしょうか。
これまで生きてきて、全く同じ経験をしてきた人なんていないと思います。それはつまり、自分というフィルターを通してしか見えない世界があるということではないでしょうか?
だからこそ
- ”健康法”で心身のパフォーマンスを最大化する
- ”ファッション”で自分が考えたこと、自分のスタンスを表現する
それができれば、自分にしかない個性や魅力が周囲にも伝わっていくと思っています。
②即効性と再現性があるから
2つ目は「目に見えて効果を実感しやすい」からです。
健康法は「科学的に正しい方法」をしっかり実践すれば、誰しもが効果を実感できます。ある程度の個人差はあると思いますが、それでも効果は必ず現れます。
これはファッションも同じです。
オシャレこそセンスがすべてのような感じもしますが、意外とそうでもないんです。誰でも70〜80点を取れる法則はたしかにあって、それを教えてくれる人もちゃんといます。

もちろん100点を取るなら「自分の個性」を活かす必要はあると思います…!
それにファッションは服を変えるだけで、すぐに効果が現れますよね。下手したら、すでに持っている服の組合せを変えるだけですぐにカッコよくなれます。
つまり、正しい方法で実践さえすれば誰でも効果が得られるのが「健康法」と「ファッション」なんです。
だからこそ、このふたつに向き合う意味は大きいと僕は思っています。
③好きだから
ここまでもっともらしい理由を挙げておきながらなんですが、最後は単純にぼくが「好きだから」です。
「好きなことでは成功できない」
「社会人は嫌なことを我慢するのが仕事」
それが当たり前だし、みんなそうやって生きている。だから仕方ない。それこそが社会人なんだと今でも思っている節があります。
実際、サイエンスライターである鈴木祐さんの『天才性が見つかる 才能の地図』には「好きなことで仕事を探してはいけない」とも記されています。
その根拠はいくつか挙げられているのですが、
「”好きを追求すれば世の中で活躍できる”というデータはほとんど無いどころか、逆にパフォーマンスが下がってしまう」
というのです。
でも、この本を読んでいて思ったんです。
「でも鈴木さんや研究者たちは”自分の好きなこと”で生きているんじゃ…」と。
たしかに「好きなこと」で成功できる人なんて、ほんのわずかな人だけなのかもしれません。
経済的に大きく成功することを人生の最優先事項とするならば、多くの人にとって「好きなことを追求する」という選択は賢明ではないのかもしれません。
でも、この本には
「好きなことを追いかけると人生の満足度・幸福度が上がるというデータは少なくない」
とも記されています。
もちろん、お金なしでは生きていけないので「好きなことだけやればいい」なんて無責任には言えないです。
でも一方で「幸せ」の定義は人それぞれのはず。
だから、本人が幸せなら「好きを追求すること」は必ずしもダメなことではないと思うんです。
僕は会社員として「好きでもない(むしろ苦手な)働き方」で「全く興味のない業界」に3年弱という時間を費やしました。
けれど、この3年は自分をすり減らすだけでした。得るものより失ったもののほうが圧倒的に多かったです。
もちろん「お前の要領が悪いだけで、多くの人は”好きなこと以外”で成果を出している」と言われてしまえば、それまでです。
でもこの3年間、ぼくは生きている心地がしませんでした。
毎日アタマに思い浮かぶのは
「なんのために生きているんだろう…」
「こんな人生なら生まれてきたくなかった」
「いますぐ◯にたい」
こればかりです。
土曜や連休だけが唯一の安息日で、日曜日の午後になれば…
「明日からまた会社の人たちと会わなきゃいけないのか…」
「またミスして迷惑かけるんだろうな…」
「もう会社の人たちに会うのが怖い…だれにも会いたくない…」
そんなことしか考えられなくなります。
本当は「好きなこと」も「やりたいこと」もたくさんあったはずなのに、それさえも楽しく感じない…
そんな思いをしてまで「好きでもないこと」に取り組む意味ってあるんでしょうか。
だから僕は、自分の好きな「健康」と「ファッション」を追求したいと思っています。
本来のポテンシャルを発揮できればもっと輝ける人がいるはず
「本来持っているポテンシャルを発揮できれば、本当はもっと輝ける人がたくさんいるはず」
過去の経験から、僕はそう思っています。
ゴミ扱いされてた中学時代
中学の頃、僕はサッカー部に入っていました。スポーツ選手に憧れていたので、人気のあったサッカー部に入った。そんな単純な理由でした。
ですが、そこで二度と経験したくないような日々を過ごすことに。
中学で部活に入るまで自覚がなかったのですが、ぼくはチームプレイがとても苦手でした。そのため、練習や試合のたびに同じチームの人間から罵倒されるように。

当時のことは今でもたまに夢に見るくらいトラウマになってます…
「サッカーが上手いやつが偉い」
「サッカーが上手ければなにをしてもいい」
そんな人間ばかりの部活だったので、彼らの行動はどんどんエスカレートしていきました。
- 持ってきた水筒を勝手に回し飲みされる
- 後輩にタメ口を使われる
- ランメニューで1位を取れずペナルティがついたら全てこちらのせいにされる
などなど…挙げればキリがないくらい。

いま思うと理不尽極まりないと思いますが、当時はなにも言えず…
そんな日々を過ごしていくなかで、自分のミスで他人に迷惑がかかることが怖くなり、なにより他人が怖くなっていきました。
次第に自分の存在価値も見出せなくなっていき「自分は無価値な人間なんだ」と本気でそう思うようになりました。
自分の気質が武器になった高校時代
でも、高校から始めた陸上競技で大きく状況が変わりました。
消去法で選んだ部活でしたが、初心者ながら記録がどんどん伸びていったんです。そして市大会で優勝したり、県大会で決勝に進むなど、結果を出すこともできました。
たぶん、陸上競技の「良いことも悪いことも全部が自分に返ってくる」という競技性質が「内向的な自分」に合っていたんだと思います。
ここでなにより伝えたいのは「僕自身はなにも変わっていない」ということ。
「もともと持っている自分の気質」が活きるように方向転換しただけで、結果はまるで違うものになったんです。
もちろん、あくまでサンプル数1の結果でしかありません。「お前の経験なんか参考にならない」と言われてしまえば、それまでです。
ですが「自分の苦手なことを苦しみながら続けても絶対に幸せにはなれない」と僕は思います。
だからこそ、周りに自分を合わせるのではなく「自分が持っているもの」を活かす。
そういう生き方のほうが幸せになれるんじゃないかな…と僕は思っています。
内向的な人ほどないがしろにされてる気がする
僕自身が内向型で生きづらさを感じているというのもありますが…内向的な人ほどないがしろにされている気がしています。
みんな口では「多様性は大事」って言う。でも、社会に出ると「外向的な振舞い・働き方」こそが正解であるかのように押し付けてくる。
そういうところにすごく違和感を覚えます。
・自分と異なる気質を理解しようとしない姿勢
・自分たちのやり方だけが正解であると押し付けてくる感じ
そういうものに少し腹が立つというか。
だから結果を出して、自分を否定してきた人たちを見返してやりたい。自分のなかに眠っているポテンシャルを最大限に引き出して、反論できないくらいの結果を出したい。
そんな想いがあります。
ただ、自分の可能性なんて簡単に信じられないです。これまでの人生で、自分で自分を否定してしまうほどに、周囲の人間から否定されてきたから。

この文を読んでくれている人もきっと同じでは…?
でも、この先ずっと他人から否定され続けれ、そして自分で自分を否定し続ける人生なんて、あまりにも辛すぎると思いませんか…?
もしかしたら、自分の持っている特性や能力を活かすだけで、結果が大きく変わることもあるかもしれないのに…。
「内向型の自分だからこそもっているもの」を活かして、まだ眠っている自分のポテンシャルを最大限発揮したい。
そんな思いから、”健康法”と”ファッション”で「陰の真価」を発揮するをブログテーマにしています。
社会に適応できなくて始めたブログ
このブログを始めたきっかけは、僕自身が社会に適応できないことを痛感させられたからです。
僕は新卒で入社した会社をわずか1年で休職しています。内定を貰うことに必死になるあまり、自分の性格や気質を二の次にし、採用人数の多い「営業職」として就職したからです。
また、まったく興味のない(むしろ嫌い・苦手でさえある)業界に入ったことも大きな要因だったと思います。当時の僕は典型的な大企業病でした。
「たとえ興味のない業界でも、有名で安定している(ように見える)大企業に入りたい。そうすれば、親や友人、バイト先の人たちにも堂々と胸を張れる」
本気でそう思っていました。
むしろ
「大企業に入れなかったら自分みたいな陰キャ・コミュ障は人生おしまいだ」
とさえ思っていたくらいです。
いま思えば、ただラクをしたかっただけなのだと思います。自分と向き合うなんて、時間もかかるし面倒くさいから。
正直、会社員という働き方が自分の気質に合っていないことは、過去の経験(部活やバイト)から薄々気付いていました。
でも
「大人になったら社会に適応するしかない。そう言われてきたし、実際みんなそうやって生きている。それが社会人というもの」
そんな言い訳をしていれば、それ以上なにも考えずに済む。自分と向き合わずに済む。
だから、自分の気持ちにフタをして、採用側が喜ぶであろう言動・態度ばかりを意識しました。まさに企業に媚びへつらう就活生という感じで、すごく惨めだったと思います。
その結果(幸か不幸か)奇跡が起きて第一志望の企業から内定を貰うことができました。
ただ、そのあと待っていたのは地獄のような日々。
まず、大学時代から「初対面の人と新たに関係を築くこと」を極端に避けるようになったこともあり、社内で本音を話せる人を誰一人つくれませんでした。

上司や先輩はもちろん、同期や後輩にすら全く心を開けませんでした…
僕が入社した年はまだコロナ禍だったということもあり、「新入社員研修がほぼリモートで行われた」という側面もたしかにあります。
ですが、そもそも陰キャでコミュ障の僕からすれば、たとえ対面で開催されていたとしても距離を縮められるわけではありません。
むしろ、グループワークで精神をすり減らし、休憩時間は一目散に一人でランチに出かける…そうしていたに違いありません。

実際 配属後に行われた営業研修では、大人数の見知らぬ人と長時間一緒にいることに耐えられず、休憩時間はほぼトイレか外で散歩をしてリフレッシュしていました…
配属後は、酒席のマナーに厳しい上司との飲み会や休日開催のゴルフコンペの誘いなど…とても自分の気質では耐えられないことばかり。
また営業職採用なので当然お客さんの所にも出向きます。配属後 数カ月間は上司に帯同する形だったので何とかなりましたが、ひとりで出向くようになってからは緊張で動機が止まず、毎回トイレの個室で苦しんでいました。
それに(自分で選んでおきながらなんですが)1ミリも興味のない業界だったので、勉強してもまったく頭に入らず、お客さんが話している内容をほとんど理解できませんでした。
その結果、わずか1年で適応障害と診断され休職することに。
その後 4ヶ月の休職期間を経て復職したのですが、今度は過度の緊張から睡眠障害に陥り、仕事でもミスを連発するように。
結果、わずか3年で会社を辞めてしまいました。

まさか「3年3割」の「3割」に自分が入ってしまうなんて思っていなかったので、自分の無能さにショックを受けましたし、ますます自己否定が加速していきました
そして、次第に
「人より仕事ができないうえに、コミュ障で他人ともろくに関われない自分に生きてる価値なんてない。むしろ生きている方が迷惑なんだ」
と本気で思うようになってしまいました。
何かひとつ「自分にはこれだ!」と思えるものがあれば、少し自分に自信が持てて、他人の目もそこまで気にならなくなるのかなと思います。
そして僕にとっての「自分にはこれだ!」は「陸上競技」だったのですが、大学卒業前のケガにより、もう何年も走れずにいます。今の自分には1ミリも自信を持てないんです。
だから
「無能で人の役に立てないうえに、自分の好きなこともできないなら、いっそ消えてしまったほうが周りにとっても自分にとってもプラスなんじゃないか?」
と思ってしまうことも多々あります。
でも、これが不思議なんですが、本当に好きなことには自然と手が伸びていったんです。
どうしようもなく精神的に追い込まれてるときは、好きなことすらも考えられなくなっちゃいます。でも休んで自分を取り戻していくと、意識的に行動を起こすとかではなく、自然と思考が向いていく。
そして気付いたんですが、本当に好きなことについて考えているときは「生きてる意味」とかそんなことを考える余地がないくらい、今この瞬間に夢中でいられるんです。
であれば「好きなこと」で誰かの役に立てたら、こんな自分でも幸せになれるんじゃないか。そして、ブログなら自分の内向性が活かせるんじゃないか。
正直、そんな自分本位な想いでブログを始めました。
さいごに
「誰かの役に立てれば…」なんて偉そうに書き綴ってしまいましたが、僕は人の意見にすぐ影響されるような芯のない人間です。
だから色んな意見・情報に触れて、このブログを通して「自分はどんな人間でどう生きたいのか」を見つけていきたいと思っています。
そして、おこがましいかもしれないけど、その過程が誰かにとってのヒントになれば…と思ってます。
すぐに役立つようなノウハウを提供することはできないかもしれないけれど…失敗や迷い、醜いところも全部ふくめて発信していきたいと思います。

最後まで読んでくれてありがとうございました!
コメントもらえたらすごく嬉しいです…!